ブッダの生涯を追いかけて Looking for a Life of the BUDDHA

ラージギル Rajgir

ラージギル(勝利の所の意)は、王舎城と呼ばれ、ブッダが布教活動の中心だったところです。
ブッダガヤーから東北81km、パトナの東南103kmのところにあります。
ラージギルは、当時、強力なマガダ国の首都があったところで、国王であったビンビサーラは、ブッダに深く帰依し、竹林精舎を寄進しました。ビンビサーラは、その息子であるアジャセに、幽閉され殺されてしまいます。
霊鷲山は、ブッダが説法をした山で、大乗仏教の多く(法華経、大無量寿経、観無量寿経、般若経など)は、ここでのブッダの説法を記録した形をとっているため、大乗仏教誕生の地ともされています。
長い間、所在がわかりませんでしたが、1903年に、西本願寺派の大谷探検隊が、玄奘の記録から、この霊鷲山を特定しました。1905年に、インドのジョーンマーシャルが、調査し、ここが霊鷲山であることを、再確認しました。
悟りを開く前のブッダが、ここで、ウドラカ・ラーマプトラ仙の下で、無念無想の精神統一の禅定による輪廻からの解脱という問題について修行し、禅定三昧の面では、最高の局地に達したといいます(『インド佛蹟巡禮』)。

ラージギルが近づくと、急に景色が険しくなってきます。
当時、マガダ国の首都であったラージギルは、この山を天然の要塞として栄えていました。
ブッダが布教活動を行った霊鷲山は、日本のお寺の寄進もあり、綺麗に整備されています。
5年前に整備されたということですから、そう昔の話ではありません。
霊鷲山は、隣の多宝山に付随している山で、多宝山の上に、見えるのは、日本のお寺で、そこには、リフトで上れるようになっています。
ブッダが説法したと伝えられる霊鷲山は、日本の寺から、歩いて行けるようになっているそうです。
リフトを楽しむインド人。
お寺にお参りするためというよりも、リフトライドを楽しむために、多くのインド人が訪れます。
娯楽の少ないヴィハール衆州において、このリフトは、数少ない娯楽になっています。
私は、このリフトは使わず、霊鷲山に直接上りました。
このリフトは、日本山妙法寺日達上人誓願により、作られました(『インド佛蹟巡禮』)。
今から思うと、日本のお寺からは、霊鷲山全体を見下ろせるので、行っておいた方がよかったかもしれません。
霊鷲山のふもとには、マンゴー園が作られていました。
霊鷲山への道は、整備されていますが、酷暑の中、厳しいものがありました。20分程度で、苦行というレベルではないのですが。
私が訪れた時は、リフトは混んでいたのに、ここから上る人には、一人も出あいませんでした。
銃を持った警備の人が付き合って上ってくれました。護衛なのでしょうか。
夜は、猛獣も出る地域のようです。
ビンビサーラ王が、ブッダの説教を聞くために作った道と伝えられます。
やっとブッダが説法されたところが見えて来ました。
途中、石窟があり、修業の場となっています。
ガイドさんもグロッキー気味です。
この石窟も瞑想の場所になっていました。
この岩の形から、霊鷲山と呼ばれたとガイドは説明していましたが、いろんな説があるようです。
『インド佛蹟巡禮』には、これらの岩が集合して、霊鷲山と呼ばれるようになったとあります。
香室と呼ばれる、ブッダが説法をしていた場所。
麓の登山口が遠くに見えます。
山に上ること自体が、修業の一つのようにも思えました。時間的には、20~30分ぐらいだったと思いますが。
回りは、見渡す限りのジャングルです。
ガイドさんは、見渡す限り一面が、信者の灯す明りで、輝いていたと説明してくれました。
誇張されているとは思いますが、ブッダの説法を聞きに集まってきた人々の姿が、思い浮かびます。
霊鷲山(グリドゥラクータ)は、五つの山に囲まれており、これが、中国から日本に伝えられた五山の元と考えられています。
ガイドさんの話では、ウダイギリ、ソウナギリ、ビプラチカー、ラトナギリ(多宝山)、ロジュウナン。定かでは、ありませんが。
『インド佛蹟巡禮』には、ウダヤ山、ソーナ山、ヴァイバーラ山、ヴィプラ山、ラトナ山の五山とあります。
この王舎城五山にはそれぞれ精舎があって、仏教行学のセンターになっており、中国も五台山など仏教文化の伝統を継承し、それに習って、鎌倉、室町時代に鎌倉五山や京都五山が制定され五山文学の発祥としても名高いです。

霊鷲山は、耆闍崛山(ギシャクッセン)と、漢訳されます。
岩には、仏足が彫られていました。
ここからさらに上ることもできますが、今後のことも考えて、遠慮しました。
麓に下りて数km行ったところが、ラージギルのあった場所になります。
ここは、ビンビサーラ王が、息子のアジャセにとらわれていた場所と伝えられています。
中央付近に、鎖をつないでいた跡まで残されています。
ここから、先ほど上った霊鷲山も見上げることができます。
ついでに、ビンビサーラ王がブッダに寄進したと伝えられる竹林精舎にも寄ってもらいました。
竹と言っても、こんな感じで、日本の竹とは趣が違います。
乾季は、遊行し、雨季は、ここ竹林精舎と、祇園精舎に滞在し、説法したといいます。
雨季は、移動がしにくいことと、虫達が活動する時期で、その時移動すると、殺生をしてしまうということが理由だそうです。
竹林精舎の中のカランダカ池。
『インド佛蹟巡禮』に、このカランダ長者池の写真がありますが、もっと素朴なものだったようです。
中には、仏像が祀られています。
こちらにも仏像が。
前に法輪が。